2017年7月11日火曜日

一山越えて辿り着いたその人里――村っつうか集落は、巣守隆康の味方の土地であるようだった。
というのも、枯れ木のようなみすぼらしい細っこい爺さんが「巣守の殿との、命生きてあらしぇられきや。」と声を掛けてきたからである。集落の人達も頭を下げていた。

爺さんはどうも集落の長っぽい。
巣守隆康は爺さんと話し出す。集落の住人達も遠巻きに何事か会話している。
一生懸命聞き取りしてみたけど、辛うじて意味を推測出来たのは巣守隆康と爺さんの話す一部の言葉だけだった。
他の人の喋っているのは方言なのか何なのか、言葉が違い過ぎてさっぱり分からない。

恐らくだけど、巣守隆康や馬鹿殿2号の話していた言葉は上流階級のもので、所謂標準語的な感じなのだろう。それに引き換え普通の人達が話しているのはその土地の方言バリバリである、と。

この世界で言葉の分からない私は、一人では生きていけなさそうだ。
これから自分はどうなるんだろう、と不安になっていると、どこからか漂ってくる下肥らしき匂いに閉口させられる。はぁ…トイレとかもヤバいんだろうなぁ。

推測通り巣守隆康は爺さんに一晩の宿を要請していたようだ。
馬から降ろされ、粗末な板張りの部屋に通される。

尼御前あまごぜ、こなたに」

爺さんの身内なのだろう、婆さんが手を引いて誘導してくれる。
あー、喪服だから尼さんに間違えられてるわ。
時代劇みたいな世界なら髪短く切ってるのは尼さんか子供ぐらいだろうし。
そういや最初出会った時、馬鹿殿もそれっぽい事言ってたっけ。

囲炉裏があって、促されるままに座る。婆さんは奥へと引っ込んでいった。
囲炉裏を挟んだ対角線上に巣守隆康は胡坐を、爺さんは正座で座っている。
しばらく彼らの会話を聞き流していると、婆さんが竹で作られたコップに湯気の立つ何かを持って出て来て、爺さんに渡す。爺さんはそれを巣守隆康に渡した。
婆さんが私の前にもコップを置く。

斯様くぁよう破屋はをくさぶらへど、せめては白湯さゆをめされ。」

「ありが…かたじけのうございます。」

思わず「有難うございます」と言いかけ、文字通り「めったにないこと」と思われかねない事に気が付き慌てて時代劇の役者になりきる。あぶないあぶない。
そっとコップを取って中を見る。
匂いを嗅ぐと単なるお湯だった。当たり前だけど生水はヤバいんだな。

ふうふうと息で冷ましながらお湯を飲む。
湯の熱が食道を通ってじんわりと体が温まった。

一旦落ち着くと、緊張の連続で催さなかったものがやってくる。
トイレ行きたいんだけど…気が付くとすっかり暗くなっている。
囲炉裏の炎だけしか灯りが無い。正直行くの怖いけど背に腹は代えられない。

私はおもむろにすくっと立ち上がり、家の入り口の引き戸を開け――そしてすぐ閉めた。

大地が、大地が闇に満ちておる…!

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「巣守の殿との、命生きてあらしぇられきや。」
→「巣守の殿さま、ご無事で(生きて)いらっしゃいましたか。」

尼御前あまごぜ、こなたに」
→「尼様、こちらに(どうぞ)」

斯様くぁよう破屋はをくさぶらへど、せめては白湯さゆをめされ。」
→「このようなボロ屋でございますが、せめて白湯をお召し上がり下さい。」

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