2017年7月11日火曜日

いつ途絶とだえるとも知れぬお坊さんの読経を聞きながら、私は足のしびれを何とかしようとモジモジしながら座っていた。

春先とはいえ、少し汗ばむ陽気の中。
クーラーの効きが思った以上に弱くて、肌着が少々気持ち悪い事になっている。

今日は母方の祖母の一周忌。

出来れば喪服は洋装が良かったが、母が祖母の形見の喪服をもらって着てあげて欲しいと希望したので和服になった次第だ。
小柄な私は幸いにしておばあちゃんのサイズでも大丈夫であったのだ。

座っている間、手持ち無沙汰なので何とはなしに欄間らんまを見上げると、そこには母の実家の【ちがたか】の家紋を入れた立派な額縁がくぶちが掛かっている。
ところが胸元に目をやると、あるのは【五三桐】の紋。

家紋と喪服の紋が違ったので疑問に思っていたら、母方は西の血筋なので女紋おんなもんという習慣が存在すると言われた。

普通は家紋は男子継承が基本である。

代々嫁を他家からめとってきた血筋の多い東では、嫁が来ればその嫁は実家の家紋ではなく婚家こんけの家紋を使う事になる。
反対に、商人などが多いもしくは歴史のある古い家柄で血筋を絶やさぬために婿取りを良くしてきた血筋では、その家の家紋とは別に、母から娘へ、またその女孫へ、と女系にのみ継承されていく女紋おんなもんというものが存在する。
お家騒動を婿取りで収めてきたという意味もあった。

昔は、東の風習と西の風習で家紋を巡り、嫁姑よめしゅうとめ一悶着ひともんちゃくあった家庭もあったそうだ。
東側が西から嫁を迎えれば、嫁に来たのに他家の紋を使うなんて!と言い、反対であれば西側が女紋もないような血筋の嫁だなんて!と言うわけである。
幸いにも我が朽木家くちきけは代々ド庶民の家庭だし、特にそういうことは気にしない家族だったので、あー文化の違いなのね、だけで終わったらしい。



***



長々とした読経の後、お坊さんは少しばかりありがたいお話つまりお説教をしてから帰った。
お坊さんにお布施を渡し、お見送りをすると今度は郊外のある有名料亭に精進落としを食べに行く。
その前に、親戚各自香典とともに持ち寄ってきた箱菓子の中身を出し、平等に分けた。
精進落としが済んだらそのまま親戚にお土産として持ち帰ってもらうためだ。

「うわっ、凄い霧。」

お菓子を渡し終えて母と外に出ると、まるでカルピスを溶かしたようになっていた。
一寸先も見えない程の凄い濃霧。
親戚達はあらかじめ手配しておいたタクシーに乗りこんで次々に出発している。
父は既に料亭に先行していた。
私と母は私の乗ってきた車で向かう。
最後になってしまったから、急がないと。

「ちょっと待ってて。車取って来るから。」

私はそう母親に言って、数メートル先しか見えない中を手探りするように車のあると思われる方向へ歩きだした。



あれ?

行けども行けども車がない。
確かいつものところに停めたはずなのに、と首をかしげると、草履ぞうり突如とつじょぐらついた。
下を見ると、確かにアスファルトのはずだったそこがむき出しの土になっていた。

「何…ここ。」

周囲を見渡す。やっぱり霧で見えない。
車を停めたあたりもアスファルトばかりでむき出しの土の場所なんてそもそもなかった。

ああ、それよりも早く車に乗って母と料亭に行かなきゃ…!

とりあえず来た道を戻れば、と思い、踵を返す。
その瞬間、さぁっと風が吹いた。



***



 霧が引き波のように流れ、ゆっくりと晴れていく。

どうやら、私が立っているのは竹林のようだった。
家の周辺に竹林はなかった、と思いながら俄かに言い様のない不安を覚える。

「おかあさーん!」

大声で叫んだ。家からそう遠くまで歩いていないし、この声は母に聞こえていなければならない。
綾子、と返事があるはずだった。
なのに、呼べど叫べど返事はなく、声は周囲の竹林に吸い込まれ消えていく。
霧は既に10m~20mほど先が見えるまでに晴れていた。
見える範囲の周囲全て、天空まで突き抜けたような孟宗竹もうそうちくばかりだということが分かった。
明らかに、家周辺とは違う。
ここは、どこだろう――まさか、神隠かみかくし?

そう思った瞬間、愕然がくぜんとしてにわかに体がふるえだした。
何か、尋常じんじょうではない事がおのれの身に起きている。

「そんな…どうしよう…。」

途方に暮れていると、不意ふいに。
遠くの方からフシュンッという音がした。

「そなたに居るのはたれ(・・)じゃ!」

人!

 叫ぶように声をかけられて、慌ててあたりを見回す。
どうも、右のほうから誰かが近づいて来ているようだった。
やがて現れた人物――私は衝撃しょうげきに目を見開いた。

うわ、何て格好…。

時代ドラマでした見たことない甲冑を着て顔を馬鹿殿みたいに化粧をしたずんぐりむっくりした小男が、これまたポニーみたいな小さくてずんぐりむっくりした馬に乗ってポックリポックリと近寄ってくるのが見えた。
先程のフシュン、というのはこの馬の鼻音だったのかも知れない。

何でこんな格好をしているのだろう?
何か時代劇の撮影でもしてるのかな?
でも、小さな馬が甲冑姿と合ってない。
サラブレッドは居なかったのだろうか?

ぐるぐるとそんな考えが脳内を巡る。
ショックは相当強かったようだ。

少なくとも、自分がいつの間にかどことも知れぬところに神隠しにあったのかもしれない、という恐怖が丸々宇宙の彼方へすっ飛んで呆然ぼうぜんとする程には。
ぽかん、とした私に構わずそいつは持っていたやりの先端こちらに向けて威嚇いかくする。

墨染すみぞめのころもみじかかみいずれの寺の尼にかあらん。かような戦場いくさばに、さても不可思議ふかしぎないでたちにて。名を言わしましぇ(・・)。」

「は?」


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「そなたに居るのはたれ(・・)じゃ!」
→「そちらに居るのは誰だ!」

墨染すみぞめのころもみじかかみいずれの寺の尼にかあらん。かような戦場いくさばに、さても不可思議ふかしぎないでたちにて。名を言わしましぇ(・・)。」
→「黒い着物、短い髪。どこの寺の尼なのか。このような戦場に、なんとまあ不思議な恰好で。名を言いなさい。」


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