2017年6月10日土曜日

2.その毛糸の先

自分の出立時間も迫っている。

親友との別れの悲しみを引きずりながらやってきた、ある教授の部屋のドアの前。
私はこんこん、と軽くノックした。

「ファテオ先生、いらっしゃいますでしょうか?クロシェ・アルストルです。」

ファテオ先生は穏やかな老先生だ。
成績や外見、身分関係なく、どの生徒にも分け隔てなく平等に接してくれて、相談にも親身になってくれる立派な方である。

学生の時は身分など関係ないという建前ではあったが、やっぱり派閥というのは存在するし、教師による生徒の依怙贔屓も勿論ある。

ファテオ先生は私の心のオアシスだった。

どうぞ、と返答があったので失礼します、と扉を開く。
書籍やマジックアイテムが多いので一見ごちゃごちゃしているように見える先生の部屋。
此処とも今日でお別れか、と思うと寂しくなった。

結局解決出来なかった魔力放出能力。破棄された婚約。新入生よりも使えない魔術師。

お世話になったお礼をした後、とぎれとぎれに胸の内を話すにつれ、堪えきれなくなってまだ涙が零れる。
先生は黙ってミルクティーを淹れてくれた。
ミルクティーのぬくもりにだんだん涙が引いてくると、ファテオ先生はぽつりと言った。

「辺り一面、鉄をも溶かす炎の破壊魔法、切断された腕を再生できる奇跡の回復魔法――この学院にいる者は魔力をより多く使い、甚大な影響を及ぼすようなものこそが優れた魔法だとして価値を置いているがね、儂はそうは思わない。」

他の教師に聞かれたら眉を顰められるかも知れんがね、と続ける。

「お前さんが放出魔力量が少ないなりに人一倍勉強・努力しておった事、実技でも工夫しておった事は教師の間では評判じゃったよ。あのレミアヒムでもそれは認めておった。魔力操作の正確さ・精密さにかけては学年一を誇ってもいいくらいじゃとな。」

「え…!?」

レミアヒムは実技の教師である。
何かと私を蔑んでいた奴だったので内心驚いた。

「――嘘ではないぞ。だからこそあやつはお前さんにギリギリではあるが合格点を付けていたのじゃから。」

丁度、昼の鐘が鳴り響いた――私の出立時間だ。

「さて、そろそろ時間じゃな。立ちなさい、クロシェ=アルストル。」

私はぬるくなったミルクティーを飲み干すと、コップを机に置いて促されるまま立ち上がる。
ファテオ先生は皺だらけの顔でくしゃりと笑った。

「お前さんの人生はこれから、じゃ。卒業はあくまでも終わりではなく始まりだという事を覚えておきなさい。世の中は広い。お前さんだけしか使えない、出来ない事はきっとある。だから研鑽を怠らず、自分だけの魔法を生み出すんじゃ。探し続ける事を諦めない限り、それは必ず見つかるじゃろうて。それが儂からの餞の言葉としよう――だから、笑いなさい。笑ってさよならじゃ、クロシェ。」

私は上手く笑えただろうか。


***


王都のアルストル家の屋敷までの道程を馬車に揺られながら、私は自分の行く先についてぼんやりと考えていた。

婚約破棄された事で、自分は傷物と見なされただろう。
それでもアルストル家との結婚で繋がりを望む貴族はいない訳ではないが、今の年齢になって相手を探すのはあまり高望みも出来ないだろうし、幸せな結婚は確率的に難しいだろうと思う。

大体の貴族の子女は10歳かそこらで婚約をするのが当たり前であり、ダニエラのように卒業後まもなく結婚、という流れになるのが普通である。例外で売れ残っているのは、外見・性格・資産状況等での難ありか、自分のように傷持ちか、そういう人間ばかりだ。

屋敷が近づくにつれて気が重くなってきた。
それを払拭するように、車窓から空を見上げる。
一羽の猛禽が風を受けて滑空しているのに羨望を覚えた。

叶うなら、自分を知る人のいない、どこか遠い遠い場所へ行って暮らしたい。

夕暮れ、アルストル公爵家の屋敷に着いた。
久しく留守にしていた実家の佇まいは、夕日を浴びて充分に威圧感を感じる。
自分を叱咤してツタの絡まるレンガの門をくぐる。

執事が私を先導し、そのまま父達の待つダイニングへと向かう。
執事は扉をノックすると、「お嬢様がお帰りになりました。」と声を掛ける。
中から「入れ」と懐かしい父の声がして、扉は開かれた。

テーブルには父であるハーヴィン、母のシャロリア、弟のトビアスが待っていた。
三人を見つめ、私は淑女の礼を取る。

「お父様、お母様、トビー、ただいま帰りました。」

「無事卒業出来て良かった。ご苦労だった。」

「学院、お疲れさま。よく頑張ったわね、卒業おめでとう。」

「卒業おめでとうございます、姉上。」

「無事、卒業出来ました。お父様とお母様に深い感謝を。トビーも、色々ありがとう。」

トビアスも勿論同じ学院である。
もっとも彼は血筋を裏切らず優秀であり、成績もトップクラスである。

だからこそ嫉みを買う事も多く、私が在学中は色々と口さがなく言われていただろう。
本当は弟に謝罪の言葉を伝えたかったが、そうすると私が落ちこぼれなのはそのように産んだ自分のせいだと母が落ち込んでしまう。
私は表情筋を叱って笑顔を作った。

「それはそうと、えー、、婚約の事なのですが…」

「クロシェ…その事は残念だった。もっと良い相手を探してやるからあまり気を落とさないようにな。」

言い淀む私に父はそう言ってくれたが、婚約破棄されたことで外聞が悪くなった私は良縁は望みにくいだろうと思う。
それに、ドレスを着て扇で顔を隠しながら腹を探りあうのは私には出来ない。

ならば最初から、父の負担にならないように。

私は馬車の中でも考えていた、身分相応の望みを口にした。

「お父様。私、身分とかそういうのは気にしません。仰々しい結婚式も、お披露目も不要です。ただ、自分の身の丈に合った、優しく誠実な方に嫁いで田舎で静かに暮らしたいわ。」

「まあクロシェ、それは素敵ね。そうだわ、お母様は卒業祝いを用意していたの。取って来るわね。」

「僕も行きます、母上。」

母が悲しみを含んだ微笑みで席を外した。弟よ、母を頼んだ。
私の行く末、幸せを思って涙を堪えているのだろう。

田舎に引きこもって社交界にも近づかず、噂すらされないように忘れ去られてひっそりと生きる。

辛い選択だ、普通の貴族の女性から見れば。
けれど、それが私にとっても家族にとっても楽な道だと思う。

私と違ってアルストル家の才能を存分に受け継いだ弟もまた、魔法の名門の御令嬢と婚約している。
私みたいな傷物の小姑が居ては恥になるだろう。

ゆくゆくはアルストル家を背負う彼の結婚に影を落とすにはいかない。

私の言葉に父は虚を突かれたように瞠目する。
しばらく黙っていたが、小さく頷く。

「それがお前の幸せならば、親として出来る限りの事をしよう。」

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